「松下村塾の吉田松陰先生ってよく聞くけど、一体どんなことをした人なの?」
と思って検索してみたのではないでしょうか?
吉田松陰資料館のしおりには、
戦後の吉田松陰先生の知名度
最近行われたアンケートによると、「名前は聞いたことがあるがそれ以上は全く知らない」が最も多く、「よく知っている」はわずか8%でした。
と書かれています。
名前だけ知ってる人は多いけど、どんな人かは知らない人が多いことがわかります。
私もベストセラーになった本、メモの魔力で語られていたため、吉田松陰先生ってすごい人だったんだと知りました。
最近では前田裕二さんのメモ魔塾というサロンもでき、松下村塾がかなり気になってきました。
萩にある吉田松陰歴史館等で学びを得てきたので、シェアしていきます。
松下村塾をしていた吉田松陰先生ってどんな人?
結論を言えば、吉田松陰先生は、「松下村塾で勉強や人の在り方を教え、日本を変えるすごい人たちが生まれた」ということです。
松下村塾で学んだ人のことを、門下生と呼びました。
代表する門下生は、
- 高杉晋作(たかすぎしんさく)
- 久坂玄瑞(くさかげんずい)
- 伊藤博文(いとうひろふみ)
など、多くの著名人を生み出しました。
すごいメンバーになれた教育方法
伊藤博文は初代内閣総理大臣になった人です。
そんなすごい門下生を生み出した、吉田松陰先生はなぜそんな教えができたのか?
その基礎は吉田松陰先生の幼少期にあったのです。
吉田松陰先生の幼いころ
吉田松陰先生のお父さんは毛利藩の下級武士で、貧しかったけれど学問好きの一家でした。
そこから玉木文之進(叔父さん)へ養子に出され、幼少期の吉田松陰先生を厳しく教育しました。
(実は、玉木文之進こそが松下村塾の創立者なのです。)
ここの厳しい教えが、今後の吉田松陰先生を変えていきます。
先日下記のツイートをしました。
昨日お風呂の中でボーッと考えたこと
— Halu(ハル)@メモ魔広報部📜 (@HALUHALUHALE) January 7, 2020
吉田松陰先生と前田さんは、
自分のことじゃなく、
「みんなの為に」とか
「日本の為に」とか
とにかく志が高い😳✨
見る目線が全然違うって事に気づいた🤔
私はまだまだそんな域に到達できてないから「自分で作った目標は達成する」まではちゃんとやろう😌
「自分のためだけに勉学をする」のではなく、「みんなのため」「日本のため」に勉学をするよう玉木文之進から教えられたのです。
吉田松陰先生は11歳でお偉いさんに講義をする
吉田松陰先生11歳の時に、お偉いさん(藩主)に講義をします。
今でいう、県知事に小学校5年生の少年が勉学を教えるようなイメージです。
11歳にして、藩主に教えられる知識・教育力を持っていたのです。
道の精なると精ならざると
— Halu(ハル)@メモ魔広報部📜 (@HALUHALUHALE) January 6, 2020
業の成ると成らざるとは
志の立つと立たざるとに在るのみ
松陰
(意味)
成功するかしないかは、しっかりとした志を立てることによるものである。高い志があれば何事もできないことはない。#萩 #吉田松陰 pic.twitter.com/tCsqAtTLMB
業の成ると成らざるとは
志の立つと立たざるとに在るのみ
松陰
この言葉を17歳で言ったと知ったときは、正直びっくりしました。
吉田松陰先生は密航を試みる
外国で戦争や侵略があることを知った吉田松陰先生は、日本に及ぶ恐怖を痛感します。
そして、日本を守るため密航を試みました。
(バレたら牢獄行きで、死刑の可能性もありました。)
しかし、玉木文之進から教わった「みんなのために」が吉田松陰先生を突き動かしたのです。
外国からの学びを吸収し、みんなへ伝え、今後に生かそうと考えたのですね。
吉田松陰先生は現代で求められるリーダー像
先ほど紹介したメモの魔力で、前田裕二さんは現代のリーダー像として以下のことを言っています。
現代では坂本龍馬的なリーダーではなくて、吉田松陰的なリーダーを人は求め始めてるのではないでしょうか。
-中略-
吉田松陰はもし政府に知られたら打ち首になるかもしれないのに、そのリスクも顧みず小舟で黒船の近くまで横付けします。
そして黒船のデッキに乗り込み、アメリカに行って外国文明を徹底的に吸収してこようとしたのです。
極めて柔軟で、しなやかです。
今の時代に求められるのは「力をスッと受け流して、むしろその力を吸収しようとするリーダー」です。
現代、力を吸収する吉田松陰先生のようなリーダーが求められているのですね。
>>>【話題の本】メモの魔力で抽象化してみる【例をあげて解説】
その後、密航を企てた吉田松陰先生はあえなく失敗し、自首するのでした。
(ペリーに追い返されたそうです。)
自首した吉田松陰先生は牢獄に入れられた
牢獄に入れられた吉田松陰先生は、牢獄でもかなりの数の本を読みました。
そして今から死んでいく囚人たちに教育をしていったのです。
(当時吉田松陰先生は20代で、50代や60代の囚人たちに勉強を教えていました。)
囚人たちは「牢獄に入る前に吉田松陰先生に会いたかった」と涙ながらに語ったとのことです。
その後、吉田松陰先生は牢獄から出たあと叔父の松下村塾で先生をすることになるのでした。
吉田松陰先生が松下村塾で教えたこと
吉田松陰先生は、松下村塾で門下生に「今の日本のままでは危ない」「貧しい日本、遅れてる日本を変えよう」と教えていました。
そこには祖国への愛があり、日本を守ろうという教えでした。
当時日本改革をよく思っていなかった幕府が吉田松陰先生を罪人とします。
吉田松陰先生は幕府に対し「私は日本を変えていこうと教えました。」と嘘なく告げたのです。
松下村塾をはじめて1年半、30歳という若さで吉田松陰先生は死罪となってしまいます。
死罪となり江戸へ連れて行かれる吉田松陰先生の潔い姿に門下生は感動し、日本の改造・革新へと突き進む原動力となったのです。
門下生に残した遺書
吉田松陰先生は、獄中で門下生に「留魂録」を執筆しました。
身はたとえ 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留めおかまし 大和魂
自分が死んでも志はこの世に置いていくという意味です。
吉田松陰先生の志を受け継いだ門下生たちが日本を変えていきます。
明治の日本をつくった偉人の多くが松下村塾の門下生であることから、吉田松陰先生の教育が注目されているのです。
吉田松陰先生ってどんな人物だったのか?
ここからは私の推測ですが、吉田松陰先生は人の2倍の速さで人生を駆け抜けたのだと感じました。
30歳を60歳に変えると合点がいくような気がするからです。
2倍というなら、かなりの濃い人生を過ごしたことがわかります。
吉田松陰先生から学ぶべきこと
やはり読書は大事だと感じました。
吉田松陰先生は400冊以上の本を牢獄で読んだそうです。
吉田松陰先生は読書について「読書は人を恐ろしいほど変える」とも言っています。
そして囚人に教えていることから、アウトプットもしていたという事です。
吉田松陰先生は、知らぬうちにインプットとアウトプットを繰り返し行っていたのです。
それが、吉田松陰先生を作りあげた部分なのかなと感じています。
現代でも実行できる点ですよね。
吉田松陰先生は人の得意(コア)を見つけるのが上手だった
吉田松陰先生のすごいところは、相手の得意とすることを見極めることです。
吉田松陰先生は、門下生各自の可能性を引き出す独特の教育をしていました。
得意を伸ばすことで成長できることを知っていたのでしょう。
吉田松陰先生の生まれた山口県萩市
萩市は街が落ち着いた雰囲気にされていました。
看板が下につけられていて、色もほぼ茶色です。
コンビニの色でさえも抑えられていました。
独特な街の雰囲気をぜひ見ていただきたいですね。
(松下村塾は2015年に世界遺産に登録されています。)
松下村塾のある松陰神社のおみくじは「傘のおみくじ」と「吉田松陰先生の名言入りおみくじ」がありました。
萩市はイカが有名ですが、ちょうど時間帯があわず海鮮丼を食べて帰りました。
次に行くときは、イカを食べたいですね。
松下村塾をしていた吉田松陰先生ってどんな人?:まとめ
やはり、現地で学ぶのはわかりやすかったです。
吉田松陰資料館の蝋人形がリアルで少し怖い部分もありましたが、実際にその時をみてるようで頭に入りやすかったです。
(タイムスリップしてる感覚でした。)
吉田松陰先生のまとめとしては、
・知識力、教育力、行動力がある
・嘘をつかない
・関わった人、国を大事にする
吉田松陰先生の名言はいくつもあり、かなり心にささりますので、ぜひ名言を調べてみてくださいね。
私は今回、吉田松陰先生の「嘘をつかない行動」に考えさせられました。
人の目を気にして自分自身に結構嘘をついてしまうので、これからは素直に生きていこうと感じた山口県萩の旅でした。